なんであの時、声を掛けようと思ったんだろう?
なんで”彼”じゃなきゃいけなかったんだろう?
彼へのあてつけ?
”彼”が都会の人だったから?
”彼”が優しそうだったから?
それとも…
「おにーさん。観光の人?自分、案内したげよっか?」
「おや?」
男性は小さく驚いた様にそう声を上げた。
お互いに見詰め合うだけの時間が流れる。
トクントクンと高鳴りを増す鼓動を気付かれぬ様に響は笑顔を絶やさなかった。
(馴れ馴れし過ぎたかな…?)
「あ、えへへっ。ごめん、いきなりでビックリしたよね。自分、我那覇 響。おにーさん、地元の人じゃないでしょ」
響がニッコリ微笑むと男性も笑顔を返した。
「俺は○○。良くわかったね」
「アハハッ、それはわかるよー。キャリーケース引いてるし、それに―」
「それに?」
「何だか”都会”って感じがする!」
響がそう答えると男性は屈託無く笑った。
「あはははっ、なるほどね」
「観光なら自分、案内するよ。お仕事なら邪魔しない様にするよ?」
響が尋ねると男性は少し考える様にして口を開いた。
「うーん、仕事で来た筈なんだけどお陰で半分終わったから案内してくれるなら観光にしようかな?」
「着いたばかりなのに?あはっ、なにそれっ♪」
「自分自身でもびっくりだけどね、とりあえずここに連れて行ってもらいたいんだけどいいかな?」
男性は手にしていた紙を響に手渡した。
紙に目を通すとそこは地元の人間でなくても良く知ってる観光者向けの大きなリゾートホテルだった。
「うん、ここなら直ぐだよ。こっち」
言って響が歩き出すと男性もそれに続く。
チラリと隣を歩く男性の横顔を覗く。
流石に荷物を引いて歩くとなると暑いらしく、こめかみにうっすらと汗をかいていた。
「沖縄暑いでしょー?」
「暑いねぇ、でも気持ちが良い暑さだよ。東京みたいに建物とか乗り物の熱気じゃないからね」
「水分はちゃんと取ってね、汗かくから」
「ん、忠告ありがとう。気をつけるよ」
男性は響のアドバイスを素直に受け取る。
初めて会って話した相手なのにこんなにテンポ良く言葉のやりとりが出来るものなのかと響は少し驚いた。
そんな話しをしている内に目的地に辿り着く。
「それじゃ、ここで待ってるから準備できたら降りてきてね」
「すぐ戻ってくるよ」
男性は中に入ると早々にチェックインを済ませて荷物を置いてすぐに響の許に戻ってきた。
「おまたせっ」
「はやーい!」
「女の子を待たせる訳にはいかないからね」
「おぉ、紳士だね!」
「それはどうだろうね」
男性は小さく笑った。
「ねぇ、何処か行きたい所ある?大概の場所ならわかるよ」
響が問いかけると男性は先程と同じ様に下唇を右手で撫で始めた。
「うーん、そもそも観光目当てで来た訳じゃないからなぁ…あぁそうだ」
何かを思いついた様に男性はポンと手を叩いた。
「ん?」
「君の好きな場所に連れて行って貰いたいな、観光名所にはあまり興味無いんだ」
意外な答えに今度は響が考える番だった。
「んー、自分の好きな場所…。うーん、ちょっと歩くけど大丈夫?」
「それは構わないよ」
「おっけー!じゃあ行こう!」
響が向かった場所はとある岬だった。
最近は、あまり来る事が無くなっていた地元の人間にも観光の人間にも珍しくないただの岬
そこが響のお気に入りの場所だった。
舗装もされていないちょっとした山道を通らなくてはならないので滅多に人も来ない。
穏やかな風が潮の香りと小波の音を乗せ自分一人を包み込んでくれる静かな岬。
そんな場所に人を誘うのは響自身初めての事だった。
ふと心配になって響は後ろを振り返った。
「だいじょーぶー?」
男性は額に汗を浮かべているものの、穏やかな笑顔をそのままに応えた。
「ここんとこずっとデスクワークだったからなぁ、ちと運動不足だけど。大丈夫だよ」
そんな”彼”を励まそうと響はにこやかに微笑んだ。
「うん♪もうすぐだからっ!」
慣れた足取りで響は山道の終わり、岬の入り口に辿り着くと大きく手を振る。
「ここだよーっ!」
男性は手をかざして眩しそうに夕日を背にした響を見上げると再び登り始めた。
革靴のまま来た事を少し後悔しながら歩みを進める。
森の木陰がぱたりと止みくっきりと分かれ広がった草原がそこからが岬だと告げている。
「あと少し!頑張ってー!」
響の声援を正面から受けて少し足を速める。
響は目の前に辿り着いた”彼”の手をそっと取った。
「お疲れ様っ!」
最後の一歩を響の手に重心を掛けて踏み出す。
「すごいな、これは…」
岬からの風景思わず感嘆の声が上がる。
辺りに広がる草花
広い広い空にそよぐ雲
水平線に浮かぶ太陽
夕焼け色に輝く海
潮の香りを乗せた風
さらさらと音を立てる草と小波
「下から見た時はただの崖だったのに」
辺りを見回すとフェリーの船着場がそう遠くない位置に見えた。
「どう?気に入った?」
響は帽子を押さえながら尋ねた。
「うん、素敵な場所だね。日本にまだこんな所が残ってたんだね」
これまで見てきた岬と言うのはどれも人の手が入り安全の為、柵を設けたり観光者向けに憩いの場が存在していた。
全く手付かずの自然の力だけで作られた岬は圧巻だった。
「えへへっ、良かった。連れて来た甲斐があるよ」
風と波の音を聞きながら涼しげに目を細めて海を眺めている”彼”を見て何だか自分の事みたいに嬉しかった。
同じ空間、同じ気持ちを共有する事はこれまで人との関わり合いを避けて来た響に取って初めての事だった。
そう
昨日も同じ様に感じていた筈なのに…
鼻の奥にツンと痛みが走る。
徐々に視界がぼやけていく。
(あ…だめ!今…泣い…ちゃ)
その思いとは裏腹にポロポロと響の頬を涙が伝っていく。
「…ふ…うっ。うぅ…」
「え?」
突然泣き出した響を見て男性は戸惑いを隠せなかった。
「ご…っ、め…」
麦藁帽子が脱げるのも気にせず響がドンとぶつかる様に飛び込んで来る。
男性は響の細い肩をただ抱いてやる事しか出来なかった。
乱暴に涙を拭いながら幼い子供の様にしゃくり上げる響の悲痛な声が岬に響き渡る。
響が落ち着いたのは太陽が沈み始めた頃だった。
「落ち着いた?」
その言葉に響はコクンと無言で頷く。
「あーぁ、折角可愛い顔してるのに…もったいない」
”彼”の手が涙に濡れて湿った響の前髪を軽くかき上げる。
伸びてきた手に反射的に目を瞑ってしまった響だったが髪をかき上げただけだと知るとそっと瞼を開いた。
「う…ごめ…っ!?」」
謝りながら見上げて響は耳の先が熱くなるのを感じた。
感情的になっていて気付かなかったが”彼”と密着していた所為で”彼”の顔が目の前にある。
銀縁のメガネの奥から切れ長の目がこちらを覗いている。
「あは、あははは…」
照れ隠しに乾いた笑い声を上げながら、ピョンと跳ねて距離を取る。
「?」
「あはは…ご、ごめんねっ。初対面なのに、恥ずかしい所見せちゃって…」
キョトンと響を見詰めていた”彼”の顔に笑顔が戻る。
「人間だから、そんな時もあるさ」
何も聞かずただ簡潔にそう答えた男性の言葉に響は自然と笑みが零れた。
「ありがとね♪お陰でスッキリした」
響は夕焼けをバックに長い髪と服を風になびかせ照れくさそうに、嬉しそうに屈託なく笑った。
暖かい島で育った健康的な少女を印象付けるには最高のワンショットだった。
「あーぁ、帽子飛んでっちゃったなぁ、結構お気に入りだったんだけどな」
「あぁ、ごめん。そこまで気が回らなかった」
「あ、別にいーんだよ。また新しいの買うからさ。そろそろ帰ろっか?」
「ん、そうだね。風も冷たくなってきたし」
帰り道の途中、響は何だか落ち着かない気分だった。
泣いてる姿を見られたと言うのもあったがまたそれとは別の感情が芽生えていた。
もっと一緒に居たいと言う気持ち
もっと”彼”の事を知りたいと言う気持ち
触れていたいと思う気持ち…
「あの、おにーさん?」
「ん?」
「い、何時までこっちに居るの?自分、夏休みだしお仕事の邪魔じゃなければまた案内するよ」
自分でも何故こんな事を言ったのかこの時は解らなかった。
「ん〜、仕事はほぼ終わったし最終的な判断はまぁ置いといて…後2日間位こっちに居ようかなぁ?」
響の問いに”彼”はとってもアバウトな言い回しをした。
「おにーさん何してる人なの…?さっき半分終わったって言ってたのにもうほぼ終わりなの?仕事の日程も決まって無いみたいだしさ…」
「あはは、それは今の所内緒にしておこうかな?」
「えー、なんでさ」
「ま、楽しみは取って置く方がいいじゃない」
「自分は好きな物は先に食べる方なんだけど」
「あら、それは残念だ」
”彼”が意地悪い笑みを浮かべると牙が顔を覗かせた。
「ぶー」
響はつまらなそうに頬を膨らます。
「帰る前には教えてあげるよ、それも仕事だしね」
「う〜、ますますわっかんないな〜。まぁ、いいか。じゃあ明日は12時にホテルに行くからちゃんと起きててよね」
「りょーかい」
「じゃ、自分こっちだから。バイバイ!」
ピッと指を立てて振り返る響の胸中は明日もまた”彼”に会える想いで一杯だった。
「おはようございまーっす!」
元気な挨拶と共に事務所に入るとプロデューサーがコーヒーを片手にタバコをくゆらしていた。
隣に居た小鳥が小さく挨拶をして立ち上がる。
「おはよう、響。寒かったろ?」
10℃以上もの気温差がある東京と沖縄。
ましてや乱立したビル郡の所為で冷たい風が吹く東京は沖縄育ちの響には堪える寒さだった。
「寒いよー。昨日だって雪降ったしさ」
そんな感じは微塵も感じさせない笑顔で響は応えた。
「ま、その分なら平気そうかな?」
「今日から本格的に活動開始だしさっ!そんな事言ってられないっしょ!」
「頼もしいな」
「どうぞ♪」
戻ってきた小鳥がマグカップを響に手渡す。
「ありがとー、小鳥さん♪」
上着を脱いで暖かい湯気を上げたココアを響は一口啜った。
「あー、生き返るー」
暖かい飲み物が体の中から温めてくれるのを感じると響はそう声を漏らした。
「おっさんくさいな…」
「え゛っ…」
プロデューサーの言葉に冷や汗がこめかみを伝った。
「ま、そのままでいいよ。頼むから自分を作ろうなんて思わないでくれよ?ありのままで頼むよ」
「あ、うん。解ったよ」
何気なく言ったプロデューサーの言葉は響に取って内心、気が気ではなかった。
「そ、それより。今後のスケジュールってどーなってんの?自分、まだ何も聞いてないよ」
話題をすりかえようと響が話しを振るとプロデューサーは「あぁ」と小さく呟いてデスクの上にあった書類を何枚か取り出す。
「メモは取れるかい?」
「ちょっと待って!」
慌ててメモ帳とペンを取り出す。
「えーっと今日から三日間はダンス、ボーカル、ヴィジュアルのそれぞれのレッスン」
「うんうん!」
憧れていたやり取りに響の胸は躍った。
やっとアイドルとしての活動に実感が持てた一時だった。
嬉しそうにメモを取る響の姿を見て小鳥の顔も綻んでいた。
「で、今週末はルーキーズのオーディションに応募済み、と」
「ふむふむ、今週末はオーディショ…ん?」
聞き間違いか?と思って確認してみる。
「今週末オーディション?」
「今週末オーディション」
恐る恐る尋ねる響に対してにべもなくプロデューサーはそう答えた。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
響と小鳥の声がハモる。
「そんな第一週でいきなりですか?」
思わず小鳥が口を挟んだ。
「勿論。早いに越した事はないでしょう?」
「でもでも、ルーキーズって大きなオーディションですし5週、10週レッスンしてからでも千早ちゃんや春香ちゃんもそうでしたし」
千早、春香は765プロが送り出したトップアイドル達の中でも最も早くTOPに辿り着いた二人だった。
それを機に立て続けにトップアイドルを産出し続けている765プロ。
何時からかメディアは千早、春香達を”一期生”少し遅れてデビューしたアイドルを”二期生”と呼ぶ様になった。
響は美希と同じ”三期生”にあたる。
そんな一期生の彼女らが調整に調整を重ねて5週10週と万全の状態をレッスンで作り挑んだのがルーキーズと言う登竜門だった。
トップアイドルになる為にはまずここを通らなくてはならない。
そして、この登竜門でふるいに掛けられ淘汰されていくのが今の業界の常だった。
勿論、そんなリスクに見合うだけのリターンもある。
それだけ注目されるオーディションだけに勝ち抜いたアイドルに送られる声援は数万に及ぶ。
そんなハイリスクハイリターンなオーディションだったからこそ慎重を期すべきであったし小鳥にとっては響が心配で堪らなかった。
「確かにそれが当たり前なのかも知れません」
「でしたら…」
「ですがそれは765プロがまだビルの一角を間借りしてた時の話しですよ」
表情を崩さないまま、プロデューサーは続けた。
「そもそも、その当たり前を作ったのは765プロのトップアイドル達であり彼女らのプロデューサーだった筈です」
「確かにそれはそうなのかも知れませんが…」
「なら、またそれを壊すのも765プロじゃありませんか?同じ事を同じ様にやっていたのなら765からはトップアイドルなんて1人も出てませんよ」
「…」
「まぁ、失敗の許されない状況下でしたからああ言う形になった訳ですが」
プロデューサーの言葉に小鳥がデスクに乗り出した。
「じゃ、じゃあ!響ちゃんは失敗しても良いんですか!?」
小鳥の怒気の混じった声が事務所に鳴り響く。
言い争う様な形になってしまった小鳥とプロデューサーの様子を響はじっと見詰めていた。
「いいえ」
プロデューサーがそう呟く様に言った。
「俺が見る事になった以上、失敗なんてさせませんよ」
「だったら何故、そんな無茶を」
言い詰める小鳥の言葉にプロデューサーは小さく笑った。
「無茶ではないからです」
「え?」
「俺が現地で見て来た響は、ポテンシャルに加えフィジカル面もメンタル面も優れていますよ。ルーキーズを受ける資格は有り余る程です」
誰よりもアイドルの素質を良く知り、育成にも長けているプロデューサーの言葉に小鳥は返す事が出来なかった。
「そうですか…」
「それに何より」
「…」
「俺は響を信じてますから」
最後のプロデューサーの言葉を聞いて響の胸はぽっと暖かくなるのを感じた。
小鳥が諦めた様に小さく息を吐く。
「はぁ、リーダーさんがそこまで仰るのなら問題は無さそうですね。ごめんなさい、でしゃばってしまって」
「いいえ、他の誰が居ても同じ様な反応になる事は解ってますから」
プロデューサーは小さく笑うと視線を響に移した。
「これでいいかい?」
その視線に響はニコリと笑顔を向け大きく頷いた。
「うん!自分も、プロデューサーの事信じてるから!」
「じゃあ今から、本格的に活動開始だな!」
それから三日間
響は早々にレッスンスタジオの挨拶を済ませそれぞれのレッスンに打ち込んだ。
とは言え直ぐ後に控えるオーディションの為に持ち歌として”ポジティブ”を選び、メロディやダンスをなぞった程度だった。
それでも響は持ち歌やダンスが出来る事が楽しく仕方がなかった。
楽しそうにレッスンに励む響の姿をプロデューサーも微笑ましく思っていたし、またその姿に確かな成功を実感していた。
オーディション当日
「おわー、すげ…」
一人先に着いた響は控え室に集まったアイドル達を見て第一声そう声を上げた。
発声練習をしている子、ダンスの確認をしている子、ただひたすら精神集中してる子
ピリピリと殺伐とした雰囲気が漂う中、響は一人呆気に取られていた。
「おし!」
一つ深呼吸をしてにこやかに笑顔を作る。
「皆、おっはよーっ!」
そう声を上げた響を控え室の全員が注目する。
しかし返事は一つも返ってこなかった。
「あ、あれ…」
「クスクス」
含む様な嘲笑
「なにあれ?」
見下げた様な視線
「なんか田舎くさーい」
露骨な罵倒
重苦しい空気が流れる中、響は居た堪れなくなって控え室の隅でプロデューサーを待つ事にした。
支度を済ませると程なくしてプロデューサーが到着した。
「ごめんごめん、先に入ってるとは思わなかったよ…ん?」
一人壁際で暗い表情の響を見てプロデューサーは首を傾げた。
「なんかあったのか?」
「あ、いやさ。初めてだったからとりあえず皆に挨拶したんだけどさ…」
ボソボソと喋る響の言葉を聞いて突如プロデューサーは笑い出した。
「あははははははははっ!」
その笑い声に響のみならず他のアイドル達の視線も一斉に浴びてしまう。
「ちょっ!?なーんで笑うのさーっ!」
さっきとは違う奇異の注目を浴びて響は恥ずかしそうに辺りを気にしながら言った。
「あはははっ、ほーんと…ははっ響は俺の期待を…裏切らないよ」
苦しそうに片目を瞑りながらプロデューサーが言う。
「どーゆーことっ!?」
半ば怒り気味に響が言うとようやく落ち着いたのかプロデューサーは息を整えてから喋りだした。
「あーぁ。いや、最初に一発挨拶でもしてきなって会ったら言おうと思ってたからさ」
「ぶー。こんな目に遭うのに?」
「こんな目に遭うからだよ。今回のオーデ勝ったな」
にやりとプロデューサーが笑う。
「後は、響が何時も通りに好きにやってくれれば大丈夫だよ」
響は何時もプロデューサーの話しについていけない。
響の考えが及ぶ様な所で、プロデューサーは物事を見ていないからだった。
「教えてよー!」
「ん、もう直ぐ始まるから終わってからな。ほら、おいで」
プロデューサーに呼ばれて響は小首を傾げながらも彼の目の前まで寄っていった。
「ん?」
「リボンが曲がってる。結い直すからそのまま」
言われて響はプロデューサーが見易い様に俯き加減に下を向いた。
「驚いた、まだ使っててくれたのか?」
響の髪を梳くってリボン代わりの布を結い直しながらプロデューサーは少し驚いていた。
響は内心ホッとした。
それにプロデューサーが気付いてくれた事もそうだったが、それ以上に今の顔は真っ赤になっていたので俯いていなければ丸見えだった。
「う、うんっ!プロデューサーがくれた…大事な物だからさ」
「あの頃はおにーさんて呼んでたぞ?」
「アハハッ、そーだったね♪」
「よし、出来た」
プロデューサーはそう言って響の肩をポンと叩くと胸のポケットから鏡を取り出した。
響が覗き込むと程良い長さに調整された布がピョンと小さなウサギの耳の様に立っていた。
「うん、あの時と一緒だね♪」
笑顔で返すと同時に控え室に審査開始のアナウンスが流れる。
「いってらっしゃい。何時もの響を見せておいで」
「うん!行ってくる、期待してて!」
アナウンスから間もなく、多少の緊張を残したものの響は何時も通り笑顔のまま審査に挑んでいた。
プロデューサーが大丈夫だと言ってくれた事、そしていつでもプロデューサーが見守っていてくれる事だけを信じて…
審査終了後、開始前とは打って変わり控え室にはどんよりとした空気立ち込めていた。
そしてその中、一頻り明るい壁際の一角があった。
開始前に大注目を集めていた響とそのプロデューサーである。
審査結果は言わずとも知れていた。
控え室同様、響は審査員の注目を浴びていたのだった。
「それでは審査結果を発表致します。エントリーNo.8の我那覇 響さん、合格です」
「アハハッ♪やったーっ!」
審査結果を聞いて響は思わずプロデューサーに抱きついた。
「おめでとう、響」
喜ぶ響の頭をプロデューサーは軽く撫でた。
「えへへっ、プロデューサーのお陰だよー♪」
「ほら、そろそろ打ち合わせに行くぞ。折角合格したのに打ち合わせで印象が崩れたら最悪だ」
プロデューサーはそう言うと響の手を取って歩き出した。
一瞬ドキリとしつつも響は握られた手にそっと力を加えた。
「いこいこっ!」
その後、打ち合わせを済ませ響達が会場を後にする頃には空はすっかり暗くなっていた。
街灯を灯した遊歩道の上を響はプロデューサーと並んで歩いていた。
キラキラと七色に光る観覧車がちょっとした夜景スポット連想させた。
道の上には自分とプロデューサー以外誰も居ない。
冷たい風に響とプロデューサーの白い息が細長く伸びる。
緩やかな風の音
コツコツと鳴るプロデューサーの革靴の音
そして自分の鼓動
それ以外は何も聞こえてこない
「あ、そうだ!」
そんな沈黙を破ったのは響だった。
「さっきのアレ、教えてよ」
響が言ったのはプロデューサーが今回のオーディションの合格を確信していた事だった。
「あぁ、簡単な事だよ」
「どんな?」
「あそこに居た皆は初めての大きなオーデなんだよ、響も踏まえてね」
「そうだね、皆緊張してるみたいだった」
「そんな中で一人緊張を見せない子が居たらどう思う?」
響はプロデューサーの問いに視線を上向けて考えた。
「自信があるのかなぁって?」
響の出した答えにプロデューサーは満足そうに頷いた。
「うん、そうだね。後は…」
「あとは?」
プロデューサーの顔がまた意地悪く笑う。
チラリと覗かせる犬歯がその印象を何倍にも膨らます。
響は少し身構えた。
どうせ、また軽く馬鹿にされる様な事を言われるのは承知済みだった。
「後は、何処か抜けてる子なんじゃないかなぁ?ってさ」
言ってプロデューサーは小さく笑った。
「…で、それが何で勝つって思える訳さ」
「それを逆に考える。自身を持ってる子は自身が揺らぐ。抜けてると思った子は油断が生じる」
「なるほど」
「そんな自信の揺らいだ子は良い演技は出来ないし、油断してる子は自分が抜かれた時にはもう手遅れになってる」
「だから、自分をルーキーズに出したの?」
「そ、初めに大舞台を経験してれば今後緊張しないだろ?」
「そうかも知れないけど…そんなの解らないよ」
「まぁ、それもそうだけど。ルーキーズは審査が特殊でね。本来なら油断してる子は1次若しくは2次審査で立て直しが効くんだ」
「そ、そうなの?」
「うん、でもルーキーズは違う。1次2次と途中審査結果が発表されないから自分が今どの位置に居るかも解らない」
「うん…」
「だから、出来る事を精一杯やれば良いんだよ。ちょっと前にも言ったけど響はポテンシャルが高いから
やれる事をやれば勝てるオーデだったんだよ」
「そっか…」
そう嬉々として語るプロデューサーを見て響は照れくさそうに頬を赤らめた。
他人である自分の事を、自分の事の様に考え、計算し成功に導いてくれる事がこの上なく嬉しかった。
そしてそんなプロデューサーに出会え、認められた自分を誇らしく思った。
「だけど、自分の事良く知ってるよね。プロデューサーは。沖縄にだって三日間しかいなかったのに」
「あははっ、それが仕事だからね」
「そう言うもんなの?」
プロデューサーの答えにちょっとした不満を感じつつ、響は言った。
「んー、まぁでも。響も色んな表情を俺に見せてくれたし、見ず知らずの俺に付き合ってくれたし。そう言うのもあるかな?」
「あー…、そうだったね…」
「いきなり泣かれた時はどうしようかと思ったけどね」
プロデューサーの余計な一言に響は耳まで真っ赤にして抗議した。
「それは言わなくたっていーよ!自分でも、ちょっと後悔してんだから…」
ぷくっと頬を膨らます響を見てプロデューサーは足を止め空を見上げた。
「んま、人前で泣くのは恥ずかしい事なのかも知れないけどさ」
響もつられて空を見上げる。
幾つもの大小の星が低い空に瞬いていた。
「そう言う所まで偶然とは言え見せて貰えたって言うのはそれだけ信用して貰えたのかなってさ。
普通なら絶対見れない表情だからさ、これも何かの運命かなって…俺はちょっと嬉しかったけどね。悲しくて泣いた響には申し訳ないけど」
と白い息を浮かべながらプロデューサーは小さく笑った。
「なんかしてあげられないかなって。だから俺は、響を家族の様に思ってるよ。言い過ぎかも知れないけどね」
そう言ってプロデューサーは再び歩き出した。
「家族、か…あー、ちょっと待ってよー!」
その言葉を実感する暇も無く響はプロデューサーの後を追った。
プロデューサーの口から出たその言葉は響の心をほんのりと暖かくしてくれた。
「えへへっ♪」
一人顔を綻ばす。
「んー?」
「プロデューサーが兄貴だったらって思ってさー」
ニンマリと響は笑みを零した。
「居るだろう、お兄さん」
「居るけどさー、なーんか違うんだよねー。だから、決めた!」
プロデューサーの前に回ってクルリと振り返る。
「プロデューサーの事は、これからにぃにぃって呼ぶ!」
「に、にぃにぃ?」
「そ、にぃにぃ♪好きに呼んで良いって言ったよね?」
今度は響が意地悪く笑った。
「ん、まぁ。それに異論は無いけど…なんかくすぐったいな…」
「そう?美希ちゃんだってプロデューサーの事、”にぃ”って呼んでるゾ?」
響が言うとプロデューサーは少し考える様に首を傾げて下唇を撫でた。
「あぁ、ハニーね」
納得したように呟く。
「ハニー?」
今度は響がキョトンとして小首を傾げた。
「ハニーって…あの、ハニー…?」
「蜂蜜って名前じゃない筈だよ、彼は」
「え?ちょと、待って!?逆じゃない、普通?あ、でもハニーはどっちでもいいのか…。つか、え?美希ちゃんて…プロデューサーと?」
思考がグルグル回る響がやっと出した質問にプロデューサーはサラリと答える。
「恋仲だよ?」
「えええええええええええええええええええっ!?」
美希とそのプロデューサーの関係を知って響は心底驚いた。
美希も自分と同じ位プロデューサーと歳が離れていたからだった。
「事務所じゃ有名だよ」
「そ、そう言うのって。あ、有りなワケ?」
「有りか無しなら、無しとは言えないと思うけど。ただそれだけのリスクは覚悟しないとな」
しかしプロデューサーの言葉は響の耳に一部しか届かなかった。
「そ、そうなんだ…ふ、ふーん…有りなんだ」
美希の話しを聞いて響は思わずプロデューサーの顔を見上げた。
(そ、そっか…有りなんだ…)
ドクッと大きく心臓が高鳴る。
もしかしたら、自分も…
そんな風に思うと何だか一縷の希望が芽生えた様な気がした。
歳も離れているし、ましてやアイドルとプロデューサーの関係は壊せない物だと思っていた。
「そっか、そっかそっかぁ♪」
「ん?今度は何?」
「んーん、なんでもない♪」
全然何でもなくない笑顔をしている事は自分でも解っていたが止める事は出来なかった。
「あ、にぃにぃ。早速なんだけど妹からのお願い聞いてよ!」
「なんでしょう?」
「手ぇ繋ごうよ!かじかんじゃってさ…沖縄育ちには堪えるなぁ…」
はあっとわざとらしく手に暖かい息を吹きかける。
「まったく…」
そう言いながらもプロデューサー左手を差し出した。
「えへへっ、ありがとう♪」
キュッと差し出された手に右手を絡める。
「自分の事全部見ててね?お願いねっ、にぃにぃ♪」